デュシャンは語る マルセル・デュシャン ピエール・カバンヌ

マルセル・デュシャンといえば、「泉」を
思い浮かべる方も多いのではないだろうか。
ともかく、20世紀の美術に多大な影響を与えた
芸術家であることは疑う余地がない。

しかし、絵画を描いていたのは1912年頃までであり、
芸術家達から冷たい仕打ちを受けたのがきっかけで
絵画制作を止めたと語っている。
その後はタブローを否定しているようにさえ見受けられる。
デュシャンがその後数多く発表した作品は、
「Ready-made(既製品)」である。
これは、既製品に少し手を加えた作品群を指し、デュシャン自身
気に入っていたものである。

デュシャンはまた、「大ガラス」と呼ばれる未完の作品を作成した。
これは、高さ約2.7メートルの2枚の透明ガラスの間に、油彩、鉛の箔、場所によっては「ほこり」で色付けをした作品である。
その東京バージョンは、東京大学教養学部美術博物館で常設展示
されているので、是非見に行きたいものである。

空の青み G.バタイユ

バタイユといえば、エログロ作家だと思い込んで、
ずっと倦厭してきた。
でも、いざ読んでみると面白い。はっきり言って
私はバタイユが好きになった。

この作品「空の青み」は、バタイユの作品の中では
異色で地味な作品とされている。

内容は、主人公が様々な女性とのいわゆる不倫を重ね、
その異常な日常を描いた作品である。
主人公は女に愛と死を重ねる−という矛盾を抱えている。

バタイユといえばヘーゲルニーチェという相反するものを
結び付けようとしたことでも知られている。
バタイユにとって、自己矛盾は重要であり、それ故に
物語の柱に据えられたのであろう。

狐狸庵交遊録 遠藤周作

遠藤周作といえば罪の意識とキリスト教のイメージが強い。
しかし、狐狸庵シリーズは狐狸庵(作者)の生の姿が
垣間見れる。

正直、遠藤周作は真面目なクリスチャンで堅い人だと勝手に
決め込んでいた私は驚いた。
悪戯好きで、仲間もあくの強い人ばかり。
今だったら絶交されそうなこともお構いなし。
最近の人間関係は薄っぺらくなってきたのか、
作家仲間が異常なのか。。。

精神疾患とパーソナリティ ミシェル・フーコー

フーコーの思想は、ニーチェハイデッガー
影響を受けているといわれている。バタイユの影響も受けたと
されているが、後にフーコーバタイユを批判している。

本書では、精神の医学と身体の医学との関係に注目している。
以下、印象的だった事柄について書きます。

フーコー精神疾患の主観性の分析を行っている。その中で、
退行論、発生論、を経て現存在分析へと至る。これらは、弁証法
につながっている。そして、これらのモデルから、病の中枢に
存在するのは「不安」だと結論付けた。

人間、不安が大きいと精神疾患に至るのである。そう考えると、
精神疾患がありふれたものである事が容易に分かる。

この、「精神疾患とパーソナリティ」は、フーコーの処女作であるが、本人はこれを否認し、「狂気の歴史」を自分の処女作と
呼び続けたそうである。

青少年のための自殺学入門 寺山修二

最初に断っておきますが、私は自殺を勧めるわけではありません。

「死ぬ自由くらいは自分で創造しよう!」
寺山は本書でこう言っている。

「自殺」の定義として、満ち足りているにもかかわらず、突然
ふと死にたくなるものを自殺としている。その典型的な例として
三島由紀夫を挙げている。逆に、何かを苦にしての死は、「他殺」
として定義している。つまり、自殺は贅沢なものなのである。

いかに死ぬか、これは裏を返せばいかに生きるかと同じことのように
思えてくる。寺山は「死も実存」と言う。

本書の解説は柳美里が書いているが、彼女は、
「寺山は一度も自殺を試みたことはないと思う」と書いていた。
私もそう思う。

嘔吐 J-Pサルトル

『嘔吐』(おうと、La Nausée)は実存主義者の小説家ジャン=ポール・サルトルが1938年に著した小説であり、サルトルの精神形成を知る上で欠かすことのできない、実存主義の聖書と言われている。
大学教授であった頃の作品で、彼の著作の中で最も良く知られるものの1つである。カフカの影響を受けているとされる。

主人公ロカンタンは、ある日「吐き気」に気づく。
「吐き気」の正体は分からぬまま、頻度は増してゆく。
やがてロカンタンは「吐き気」が「実存」に対するものだと
気づく。「実存」とは、目に見えるものだけではなく、音楽などの
目に見えないものもそうである。また、思考そのものも「実存」
であり、生や死も「実存」である。そして実存である生や死は
偶然であるとする。これが実存主義であり、その考えを端的に
著しているのが短編小説「壁」でもある。
「嘔吐」と「壁」の入っている「水いらず」どっちもお勧めの
一冊である。

存在の耐えられない軽さ ミラン・クンデラ

普通の小説は、誰かの目を通して、時の流れに沿って
書かれるものである。だが、これは違う。
主人公が章によって異なるし、それに伴って時が逆行する。
非常に構成に凝った作品である。

ミラン・クンデラチェコスロバキアの作家である。
共産党体制下の閉塞した生活を描いた長編小説『冗談』でチェコスロヴァキアを代表する作家となる。
1984年発表の『存在の耐えられない軽さ』が世界的なベストセラーになり、フィリップ・カウフマンによって映画化もされた。
本書は「プラハの春」を時代背景としている。

永劫回帰の世界観では存在は重く、一度限りの人生での存在は軽い。
これは、果たして本当だろうか?